私たちが目指しているもの

いずれは、自分たちでも建てたい。

このページは、私たちの側の構想を書いたものです。 お引き受けするお仕事とは切り分けてお読みください。 既存のお社に対して、この構想を持ち込むことはありません。

千五百年のあいだ、この国の人々を動かしてきたものがあります。 祓い、舞、祈り。神が宿るとされた場所で、繰り返されてきた所作です。

いま、京都を訪れる人の多くは、それを縄の外から眺めて通り過ぎます。 写真を撮り、少し立ち止まり、そして次の場所へ向かう。 なかに入る術がないのだから、当然のことです。

入れる場所をつくれないか

作法を知らなくても、言葉がわからなくても、 その場に立ったときに何かが伝わる。 そういう場所を、いずれは自分たちの手で建てたいと考えています。

薄めた観光向けの再現ではありません。 神道の作法にきちんと当たったうえで、 現代の照明と音響と設計で、届く形にし直す——という考え方です。

いま、そこには至っていません

土地も、資金も、体制も、まだ揃っていません。 時期を約束できる段階ではないので、時期は書きません。

ただ、そこへ向かうために必要なものは、 いま日々のお仕事のなかで積み上がっています。 ご由緒を史料にあたって整理する手つき。境内で撮らせていただくときの作法。 祭りの当日に人と物を動かす段取り。授与品に仕掛けを収める設計。 どれも、お社のお仕事をお引き受けするなかで身についてきたものです。

だから、この構想はお仕事の言い訳ではありません。 順番として、先にお社のお仕事があります。

なぜこれを書いておくのか

私たちが何を面白いと思っている者たちなのかを、隠さないためです。 神社を「案件」として見ている業者ではない、ということが伝わればと思っています。

そのうえで、繰り返しになりますが—— お引き受けするお仕事において、私たちの構想を持ち込むことはありません。 決めるのは、いつも神社さまです。

私たちについてできることを見る